発達障害について思うこと [発達]
昨日、私の実母に《チビちゃんが定型発達じゃない》ことを伝えました。
その反応は予想通り『小さい子はみんなそうでしょ』というもの。
以前も「チビちゃんは発達障害なんじゃないかと思ってる」と話したら『そんな筈はない』と言われたこともありました。
今回も同様の反応でした。
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電話口でキャーキャーワーワー叫ぶチビちゃんの声が母親にも届いていたので「私や兄ちゃんが2歳半の時、こんなだった?違うでしょ?」と聞いたら、母は黙ってしまいました。
それから、『あんたたちは手のかからない子だったから…』と。
そうなんです。
私も兄も成長が早く《育てやすい》子どもでした。
おそらく、《定型発達》よりも早い発達だったんだと思います。
それに加えて、私は負けず嫌いな性格だから、常に手のかからない兄と同じように扱われるべく振舞っていたので、それはもう手のかかる筈がないんです。
母にはそのままを伝えました。
わかってもらえたのかは、まだわかりません。
母や周りの言う通り、《小さい子はみんなそう》ならいいんです。
チビちゃんのそれが個性の範囲なのか定型発達の域を外れてしまうのか、私が知りたいのはそこでした。
2歳半のチビちゃんの言動が《2歳0ヶ月の定型》だとしても《2歳半の定型》でないのなら、そのことを知っておきたかった。
発達障害児の親あるあるらしいのですが、《身内に認めてもらえない》状況なんだな、と思いました。
中には《お前はそんなに子どもを障害者にしたいのか》と責められたり、《早く治せ》と言われたりするケースも少なくありません。
(発達障害は治りません。療育を通して社会的に《望ましい》行動を取るようある程度の訓練することはできます)
子どもを障害者にしたい親なんていないんですけどね。
違うならその方が良いと、誰もが思っているんです。
その上で我が子の障害を受け入れて、前を向いて歩き始めるまでにどんな苦悩があるかなんて、親を責める他者は理解できないんですよね。
苦悩と書きましたが、実際過去に苦悩した時期を乗り越えた人たちを知っています。
ただし、私自身は当初から《チビちゃんが定型発達ではない気がする》と思っていた特殊なケースらしいので、苦悩は今のところほぼありません。
ただし《知的障害を伴わない発達障害または発達の遅れがある》と思っていたに過ぎないので、知的障害を伴っていた場合は苦悩すると思います。
私は「健診で引っかかった」と口では言っているのですが、「引っかかるように仕向けた」方が正しいんですよね。
チビちゃんを見て来て《イヤイヤ期にしてはひどすぎる》と何度も思いました。
そして《みんながこんな思いをして子育てをしている訳がない》とも思っていました。
それを確かめるためもあり、健診の問診で相談しました。
座っていられなかったりその場の課題に取り組めなかったりと、いつものごとく《ダメ》な行動をチビちゃんが取ったので、思惑通りに《ひっかかった》んです。
なので、《育てづらさを感じながらも毎日必死で子育てしてきて、いきなり発達障害だと突きつけられる》という多くの発達障害児の親御さんよりも覚悟があったというか、知識があったというか。
幸か不幸か、学生時代に心理学専攻だったので、発達心理学や教育心理学も学んでいたのも大きかったと思います。
繰り返しになりますが、子どもを障害者にしたい親なんていないと思います。
私はただ、認めず我が子が《生きづらさ》を感じて育ってしまうのが嫌なだけ、いつか周りと違うことに気付いた時に《自己肯定感》を持てなくなってしまうのがこわいだけなんです。
ただ、それはあくまで可能性の話。
チビちゃんの発達の遅れの方向は、必ずしも発達障害とは言えない気がしています。
現状としては《グレー》で、正直なところ、今後診断はつかないんじゃないかと思っています。
だけど、いつか後悔したくないから、後悔している人を知っているから、出来る限りのことをしたいと思っています。
その一歩目が《認めること》だとも。
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その反応は予想通り『小さい子はみんなそうでしょ』というもの。
以前も「チビちゃんは発達障害なんじゃないかと思ってる」と話したら『そんな筈はない』と言われたこともありました。
今回も同様の反応でした。
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電話口でキャーキャーワーワー叫ぶチビちゃんの声が母親にも届いていたので「私や兄ちゃんが2歳半の時、こんなだった?違うでしょ?」と聞いたら、母は黙ってしまいました。
それから、『あんたたちは手のかからない子だったから…』と。
そうなんです。
私も兄も成長が早く《育てやすい》子どもでした。
おそらく、《定型発達》よりも早い発達だったんだと思います。
それに加えて、私は負けず嫌いな性格だから、常に手のかからない兄と同じように扱われるべく振舞っていたので、それはもう手のかかる筈がないんです。
母にはそのままを伝えました。
わかってもらえたのかは、まだわかりません。
母や周りの言う通り、《小さい子はみんなそう》ならいいんです。
チビちゃんのそれが個性の範囲なのか定型発達の域を外れてしまうのか、私が知りたいのはそこでした。
2歳半のチビちゃんの言動が《2歳0ヶ月の定型》だとしても《2歳半の定型》でないのなら、そのことを知っておきたかった。
発達障害児の親あるあるらしいのですが、《身内に認めてもらえない》状況なんだな、と思いました。
中には《お前はそんなに子どもを障害者にしたいのか》と責められたり、《早く治せ》と言われたりするケースも少なくありません。
(発達障害は治りません。療育を通して社会的に《望ましい》行動を取るようある程度の訓練することはできます)
子どもを障害者にしたい親なんていないんですけどね。
違うならその方が良いと、誰もが思っているんです。
その上で我が子の障害を受け入れて、前を向いて歩き始めるまでにどんな苦悩があるかなんて、親を責める他者は理解できないんですよね。
苦悩と書きましたが、実際過去に苦悩した時期を乗り越えた人たちを知っています。
ただし、私自身は当初から《チビちゃんが定型発達ではない気がする》と思っていた特殊なケースらしいので、苦悩は今のところほぼありません。
ただし《知的障害を伴わない発達障害または発達の遅れがある》と思っていたに過ぎないので、知的障害を伴っていた場合は苦悩すると思います。
私は「健診で引っかかった」と口では言っているのですが、「引っかかるように仕向けた」方が正しいんですよね。
チビちゃんを見て来て《イヤイヤ期にしてはひどすぎる》と何度も思いました。
そして《みんながこんな思いをして子育てをしている訳がない》とも思っていました。
それを確かめるためもあり、健診の問診で相談しました。
座っていられなかったりその場の課題に取り組めなかったりと、いつものごとく《ダメ》な行動をチビちゃんが取ったので、思惑通りに《ひっかかった》んです。
なので、《育てづらさを感じながらも毎日必死で子育てしてきて、いきなり発達障害だと突きつけられる》という多くの発達障害児の親御さんよりも覚悟があったというか、知識があったというか。
幸か不幸か、学生時代に心理学専攻だったので、発達心理学や教育心理学も学んでいたのも大きかったと思います。
繰り返しになりますが、子どもを障害者にしたい親なんていないと思います。
私はただ、認めず我が子が《生きづらさ》を感じて育ってしまうのが嫌なだけ、いつか周りと違うことに気付いた時に《自己肯定感》を持てなくなってしまうのがこわいだけなんです。
ただ、それはあくまで可能性の話。
チビちゃんの発達の遅れの方向は、必ずしも発達障害とは言えない気がしています。
現状としては《グレー》で、正直なところ、今後診断はつかないんじゃないかと思っています。
だけど、いつか後悔したくないから、後悔している人を知っているから、出来る限りのことをしたいと思っています。
その一歩目が《認めること》だとも。
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